スカイラインとシビック

tanshin2004-12-13

大学に入学が決まり早速免許を取りに行った。が、実際免許を手にしたのは大学1年の夏だった。単純に教習所に行くのが、面倒だった。免許が手に入った翌日、友達の遠藤君、まん太と賢島にある『合歓の郷』に出発、多少無免許に慣れていたとは故、さすがに高速を運転するのは初めてで、手に汗にぎり100Km!!という鈍足にも関わらず怖かったし、その旅すがら三重県の田舎道で、遅いジープを抜こうとして対向車と正面衝突しそうになった。同じ夏だったか、今度は大学の友達、小川君、功刀君と秋田にある小川君ち経由日本海側をぐるっと回って一周する旅に出た。伊豆下田にもよく行った。当時真夏でもがらがらだった南伊豆吉佐美大浜を発見した野宿旅行も古いスカイラインと一緒だった。今考えると壊れないのが唯一のとりえのような自動車だった。

次に我が家にやってきた車は、初代シビック。発表されるや即、小金井街道沿いにあった『ヨシムラ・ホンダ』に見に行った。高校の行き帰りのバスの中から『ああ、こんなところにヨシムラがあるんだア』と思っていた。でも店はチューナーのヨシムラとは何の関係もないような、ホンダの1ディーラーだった。ただ、そこで後々世話になる亀井さんに出会うし、陸王に乗っているメカもいた。

Car Graphicでもシビックをもてはやしていたし、今考えてもあの時代にホンダは頑張ったなと思う。僕はホイールを5インチワイド・スチールに、バイアス・タイヤをミシュランZX155X12に、ヘッドライトをマーシャルに、そしてフェンダーミラーをフラットなスタンダード型に切り替えた。そして遠藤君のローレルSGLと明け方の箱根を走りまくった。暫くすると、クラッチが調子悪くなった、また雨の日は信号で止まると、エンジンも止まり再スタートしないトラブルが頻繁に起きた。結構完成度は低かった。ヤッパリ、ホンダだなあと思った。

遠藤君はその後僕のシビックと同じ色の車を買った。ある日遊びに来て『運転してみ』というので、何で今更と思いながら、運転してみると『なんじゃこりゃ』というほど痛快至極のシビックで、エンジンはヨシムラ・チューンの載せかえられていた。CVだかCRだか4連キャブだったと思う。その車で東名で速そうな車を煽るのは楽しかった。100Kmからでも2000ccクラスの車をオラオラオラと追い回した。

シビックを振り回し、ヒール&トーとか、ハンドブレーキで180度ターンとか勉強し、また伊豆下田と多摩にあった自宅を2時間45分最速記録とか色々楽しいことが沢山あった。

写真は山陰への旅  遠藤くん、まん太、僕の3人で