ジュヌビエーブ

tanshin2004-12-05

中学2年の夏、親父は大阪に転勤になった。親は子供の学校のことを思ったのだろう、親父は大阪に単身赴任、家族は下北沢に引越しした。その頃の自動車にまつわる思い出は殆ど無い。それよりも、フジテレビ(?)土曜日の小山ルミがズッチャか踊るビートポップスとかカトリーヌ・スパーク、クラウディア・カルディナーレとか音楽や映画のこと・・・女性・・・の記憶が多く、車の趣味はどうもお休みしていたらしい。でも近くの環状7号線(公道)で、『やました』と書かれたレース仕様のスカイラインS54Bを目にしたことにはビックリした。運転手と金髪の同乗者がカッコよかった。これも女性からみで記憶している・・のだろう。東京に引っ越した夏、親戚のいる京都と親父のいる大阪に一人で1週間くらい遊びに行った。京都では毎日のよう従兄弟が琵琶湖近辺に遊びに連れて行ってくれた。その頃年はなれた従兄弟の車は初代のルーチェで、欧州車風のスタイルが他の当時の日本車よりずっと素敵だった。車にはクーラー、EPレコードをかけられるカーステレオが装備されていたと思う。車のクーラーから吐き出される冷たい風、その独特の匂いが懐かしい。その従兄弟の前の車はトライアンフTR4だったらしい。『Sちゃんは何の車が好きなの』と聞かれ『僕はスカイラインGTBが欲しい、ボディは白、ホイールも白にする』と言い、従兄弟は真っ赤なアルファロメオ・ジュリアが欲しいといっていた。

高校は真新しく、進学校とはいえぬ都立高校へいった。それまでもAuto SportsやCar Graphicは買い続け、車に知識は少なくとも全校一だっただろう。でも僕の好きになる車は早い車とか、スポーツ・カーとかカッコいいという事とは無縁で、何故か欧州の実用車(あし車)ばかりだった。それは、ふかふかしていそうなシートを持つルノーR8だったり、一寸高級そうなトライアンフ1300だった。その中でPeugeot 204という妙にホイールベースの長い小さな車が気になっていた。60〜80年代の輸入業者は西小山(今は西小山には無いらしい)に近い新東洋企業というジャガーを主に扱う輸入代理店だった。

ある日、自宅から自転車で小一時間かけて高校へ行った帰り道、新青梅街道の中古車屋アメリカ車とか大きな輸入中古車の中にボルドーカラーの小さなPeugeot 204を見つけた。ほんと一目ぼれした。そんなことがあって僕が21歳になった頃Car Graphicの売買欄で白いPeugeot 204(1966年型)見つけ、36歳になるまで僕の彼女として15年間も一緒に過ごすことになる。