コンベア880 千歳行き

tanshin2004-11-18

小学校の卒業も後半年となった11月、我が家は住み慣れた杉並から北海道へ移ることになった。1965年の事だと思う!?羽田から初めてジェット機というものにのった記憶は今も生ナマしい。勿論初体験だから比較対象もないけれど、機内のウルサイ事、急上昇にビックリした。11月12日だった。千歳の天気は雪。千歳にはシボレー・シェビーが迎えに来ていた。千歳は駐留軍がいたのだろう、街角に60年前半の米国車がころがっていたし、解体屋にも山済みになっていた。
http://www.jal.co.jp/history/aircraft/60s/pick_61-70_06.html
千歳からは、たしか36号線を北上、何も無い景色にビックリした。と正面からリンカーン・コンチネンタルが来た。昔のどデカイ四角い奴だ。『あ〜』と声を上げたら、運転手さんの武田さんが『あれは、T建設の支店長の車だア』となまって教えてくれた。武田さんには沢山車のことを教えてもらった。筋がね入りの、正にプロの運転手さんだった。両親は免許を持っていなかったけれど、『北海道じゃ、免許いるわね』とかいって40才後半になっていた母まで免許をとった。でも3回くらい落ちたとか言っていた。
最初に買った我が家の自動車は、柿の種だ。そうあのブルーバード、でもケチナ親父は何を思ったか、タク上がりをレンガ色に塗った奴を買ってきた。その厚化粧したポンコツは良く走った。運転席の床から地面が一寸見えていた。その車で阿寒湖、広尾、然別湖、静内を一周旅行をした。僕の仲いい友達だった近石君も一緒に行った。僕の飼っていた伝書バト『駒栗ちゃん』も一緒にいって、静内で放した。洞爺、支笏湖にもいったし、函館にも行った。柿の種ポンコツは思いの他頑丈だったけど、冬は意気地なしだった。絶対エンジンがかからず、クランク棒でえっちら回してかけるのが常だった。
そして、記念すべき僕の初体験だった。小学生でブイっと車を運転してしまった。
洗車、ワックスも僕のお仕事だったし、暇さえあれば車の中にいた。そんな柿の種を母親は何回もブツケタ。ブツケルのはいつも家に入る門柱だった。子供ながら『おかあちゃん、下手だねえ』と思っていた。そのころ僕は両親を『おかあちゃん、おとーちゃん』と呼んでいた。理由は覚えていないけど、多分僕がダダをこねたか?車を買い替えることになり『おとーちゃん、プリンス、プリンスー』といって、札幌から小樽方面に行ったところにあったプリンスにスカイラインを見に行った。そのスカイラインはアイボリーの65年型DX、僕が大学になるまで家にあった。スカイラインも全く故障知らずのタフな奴だった。日産の名前が付かない、純粋なプリンスだった。