自転車

tanshin2004-11-15

家の近くに自転車屋さんがあった。

小学校低学年の頃、宮田自転車のオレンジ色の22インチを親にねだって買ってもらった。近くに住んでいる松尾君も同じ自転車を持っていた。でも年を追うごとに僕の自転車は錆さびになり、松尾君の自転車は使い古されつつも。いつもぴかぴかだった。結局小学校5年の頃ドロップ・ハンドルの野沢製(もうないなあ)の格好いい自転車を買ってもらうまで錆さびのまま、毎日のよう野球や、友達の家に、そして夏には虫取りの足となった。当時上北沢に住んでいた、長島選手の家に押しかけたのもそのころ。家の前で『長島〜長島〜』って叫んでいたら、お前ら静かにせいといって僕ら餓鬼を相手にしてくれた。僕らのスーパー・スターだった。オリンピックのマラソンを見に行ったのも宮田の22インチだった。杉並の街から甲州街道までシャカシャカ自転車をこいで見に行った。結局、野沢製の格好いいドロップ・ハンドルの自転車は、宮崎君の家にちょっと寄った間に盗まれてしまい、泣いてトボトボ家にかえり母と一緒に警察に届けた。2ヶ月後くらいにドブ川に捨てられているのが見つかったが、部品はもぎ取られて使い物にはならなかった。

自動車だけではなく、オートバイも気になっていた。自転車屋さんでブリジストン、山口やら今はなきバイクが並んでいたし、オートショウのカタログでライラックの曲芸乗りの宣伝は今でも衝撃だった。V2だったか水平対向だったかベルト・ドライブのライラックはホンダなんかよりも先進的にみえた。

プリンス自動車ライラックも今は無いけれど僕は大好きだった。