Alpine A110+ Peugeot x 2

tanshin2005-01-12

数回Herr Brawnの車庫へ通った後、『1600の方がいいぞ』というHerr Brawnの忠告を無視し、未再生ボロ1300VCを買った。買うときはエンジンサイズとか、VCじゃしょうがないとか考えず、オリジナルの形を保っていて、事故跡も殆ど無いことが決め手となった+実は予算です。ホイルは純正が付いていたが、殆ど新品のGTホイールも分けてもらった。

車を引き取り後、所有者の変更とナンバー切り替えは大変だった。詳しくは忘れてしまったが、A110は競技用とかでアッチの事務所、コッチの事務所とたらい回しにされ難儀した。

部品はデュッセルから車で1時間ほどのゲルゼンキルシェンにあるTreico ( www.treico.de ) のエドガー・トレーザーに世話になった。当時は倉庫に山済みのオリジナル部品があり、そこでデビル、内装、ランプカバー、ブレーキ・キャリパーなど買ったが、結局それらを使ったのは買った年から13年後の昨年になってしまった。

家に来て、じっくり見ると思っていたよりボロい事が判ったが、デュッセルからルクセンブルグに移転することが判っていたので、近場ちょい乗りをするくらいで修理に手はつけなかった。

足は結局405 Breakが我が家にやって来た。別にどうこう言う程でもなく、204,404,504とかやや昔のPeugeot好きには一寸がっかりな普通のヨーロッパ車だったし、ドイツ車に比べると明らかに全てが安っぽかった。渡欧した年の年末にNさん家族とインスブルックにスキーにいった時、夜−10度位だったろうか、ガソリン・タンク口の蓋がポロッと取れてしまった。蓋はプラスティックで出来ていて、どうも信用置けない作りがそこかしこにあった。

3ヶ月遅れで家族も赴任してきた。また奥さん用車探しが始まり、日本に帰国される方から205 Automaticを買った。これもまた純正のどうしようもなく音質の悪いカーステレオが付き、またオートマティック余り賢くなかったし、チョークも調子悪かった。

ドイツをはなれルクセンブルグに移動したのは91年5月末のこと。405は業者に頼み、僕は(A110)奥さんの205に煽られながら300km弱の道のりをソロソロと赴任地に向かった。   写真はデュッセルドルフからルクセンブルグへ向かうアウトバーンのパーキングにて。5月29日1991年