部屋はPeugeotだらけ

tanshin2004-12-25

日本でのPeugeotは205GTIが出るまでひどくマイナーな存在で、新東洋で輸入された少量の404,204,504か、フランス大使館他アフリカの大使館員の乗る車、若しくは海外から引越し荷物として持ち込まれたものくらいしかなかった筈だ。新東洋も当初は欧州仕様を輸入していたようだが、排ガス規制が厳しくなると米国向けの出っ歯バンパー、醜い4灯のヘッドランプに変えられた504を輸入していたようだ。僕の204は66年型の極初期型の英国(香港向け??)向け右ハンドルで、68年に足立区のお医者さん(Kさん)が買ったものだった。Kさんは余りに調子のいい1200ccもないチッポケな204で東名を飛ばし、コンロッドがブロックを突き破ってしまったらしく、乗っていたエンジンは事故車から移植したものだった。買った当初は他の車と比べるすべも無く調子が良いのかよく判らなかったが、買った年の年末駒沢公園近くにあった洒落たレストランで世田谷のKさん(204)、大宮のYさん(404)と初めて会い、Kさんの204に比べ吹き上がりが悪いのに気がついた。実用にはなんら問題ないのでその後2〜3年は乗っていた。壊れることも無かったし、路上でエンコしたのは首都高速で一回。クラッチが抜けてしまった。204のクラッチは油圧で、そのパイプが抜けクラッチがバカになったときくらいだ。日本でパーツを調達するのは難しかったし、輸入もとの新東洋も熱心ではなかった。大学3年の時姉夫婦が住んでいたカリフォルニア・バークレーに滞在する機会があり。少量米国に輸入されていた304(204と基本の機構は同じ)のパーツを買い求めた。一番大きなものは等速ジョイントの新ドライブ・シャフトだった。当時、何れの前輪駆動車の問題点はドライブ・シャフトだった。また、東京の大田区にあったSSリミテッドを覗きに行き、大変希少と思われるCibieのW反射鏡付204用のヘッドランプを見つけた。4年の時、欧州を1ヶ月車で旅行したときも、山のように部品を買い込んだし、20代も終わりの頃、新婚旅行で訪れたフランス旅行でも、部品買出しは続いた。とは言っても壊れていたわけではなく、いつか大掛かりな修理をしようと思っていたからで、自分の部屋は部品であふれかえっていた。確かな時期は忘れてしまったが、文京区の牛乳屋さんにあった204を10万円で部品用として買い、使える部品をばらし、部屋は油臭くなるばかりだった。

自分でエンジンをいじるようになったものの、素人も素人、マニュアルを読み読みやっていたが、中々ぶ〜〜んと軽快に回ることがなかった。そんなインチキ修理にバチがあたり、はずしたナットがインテークから入ってしまい、バルブに噛み込んでしまった。ここに至ってはプロにお願いするしかなく、当時ヨシムラ・ホンダにいた亀井さんにオーバー・ホールをお願いすることになる。