フランス文化圏へ、そしてCitroen CX

tanshin2005-01-15

僕の友達でルクセンブルグをドイツの街と思っていた奴がいた(富山の黒田くん)。日本から送ってくれたカードのアドレスが、Luxembourg, Germanyと書かれていた。最も人口400千人、面積は神奈川県ほどしか無い国だから良く知られていないのは致し方ないかなあ。一人当たりGDP世界一位というのも結構知られていないらしい。労働人口が少ないので毎日フランス人、ベルギー人、ドイツ人は仕事をしにルクセンブルグに通ってくる。他国近隣地域よりも数段給与が高いし税金は安かった。=酒、タバコ、ガソリンが欧州一安かった(当時)。車もフランス車が圧倒的に多くなり、またイタリア車もドイツより数段見かける回数が多いし、イタリアからの移民も多かった。
余り面白くなかった405 Breakを手放すのは浮気性には時間の問題だった。家から5分のところにシトロエンルノーのディーラーが軒を並べており、中古もドイツに比べ選択の幅が広がり、土日によく中古車パトロールをした。シトロエンにはズラッとCXの中古が並んでいた。何故そんなに並んでいたかを考えもせず(人気が無かった。売るときはただ同然)、CXを物色し始めたがTurboは余り出回っていず銀色の86年GTI(シリーズII)をPeugeot 405 Breakと物々交換した。確か査定価格は日本円で60〜70万円だったと思う。走行距離は8万キロくらいだったので欧州の中古からすると平均以下で良さそうに見えた。 シトロエンではコルチナに会社の4家族と皆で家族スキーに行ったり、コモ、ミラノ、フィレンツエ、ピサ、ベニスを回ったイタリア旅行ではベニスから一気に1500kmを帰ってきた。日本で2年ほど乗っていたGSよりも数段信頼性は高かったけれど、家族の船酔い(シトロエン酔い)は相変わらずだった。路上でエンコしたのはたった2回(haha...)3回だ。チューリッヒでトラムの路線マーキングの石柱にオイルパンをヒットし割ってしまったなあ。シトロエンのせいじゃないけどね。もう一回は出張でオランダへ行くとき、ベルギーのオートルートを150kmで巡航中に突然エンジンが死んだ。20分ほどして又エンジンが掛かったので時間通り仕事をこなしルクセンブルグに戻れたが、勿論工場に入れた。夏は暑く、冬は寒くエアコンもヒーターも貧弱だった。ルクセンブルグから南へ下ると10分もしないうちに国境(当時はパスポートコントロールがあったが、その後はなくなった)を越えフランスに入る。ルクセンブルグから一番近いフランスの街チオンビル、メッツまで買い物によく行った。広々とした田園の真ん中をシトロエンCXでオートルートを飛ばすのは快適だった。

写真は12月25日1992年、イタリアへスキーに行く途中